📚ブラック・スワン[上]

  • ブラック・スワン[上]
    • プロローグ
    • この本でブラック・スワンとは、
    • 異常であり、起こるなんて思われていない、予想の範囲外にあること
    • とても衝撃があること
    • 異常なのに、起こった後には起こる筋道をつけたり、予想可能であったことにしてしまうこと
    • を備えた事象のこと。この一握りのブラック・スワンで、人間の世界はほとんど説明できてしまう。
    • 私たちはブラック・スワンがいないフリまでする。不確実性を測ることができる、と錯覚している。もちろん、ブラック・スワンはその予測の外側にいるので、その予測能力は星占いと変わらないレベル。
    • 黒い白鳥は予想できない。にもかかわらず、予想できると思い込んでいて、間違いの大きさに気づかない。そういう認識が、簡単に黒い白鳥を起こす。
    • 黒い白鳥は予想できない。わからないことに対して、順応するしかない。
    • 人知れず何かを成し遂げたアンサングヒーローがいる。その英雄たちは、自分は役立たずだと感じてしまう。直接的な治療ではなく、予防を成し遂げた人は、その功績を認識されることすらできない。そして人は、目に見える英雄を崇める。
    • 人間には、純粋で扱いやすい「型」に当てはめたがる傾向がある。物事を単純化し、型にあてはめて、実際にわかっていること以上のことをわかった気になってしまう。黒い白鳥は、そんなところに生まれる。
    • ▼p21.私はあえて危険を冒して、私たちがものごとを考えるときの習慣にたてつき、私たちの世界は極端なこと、わからないこと、そしてありえないこと(今わかっていることによればありえないこと)でいっぱいだと主張する。それなのに、私たちは時候のご挨拶みたいなどうでもいいことにばかりこだわり、わかっていることや何度も起こることにばかり目を向けていることを示す。
    • 第1部 ウンベルト・エーコの反蔵書、あるいは認められたい私たちのやり口
    • 第1章 実証的懐疑主義者への道
    • 歴史は不透明。事実は不透明、と言い換えることもできるかも。起こったことはわかるけれども、そこに至った筋書きは実際のところは見えない。予想した、推測したとしても、それがあっているのかどうかはわからない。ここに、大きな誤解があるように思う。筋書きが見える・わかるという、誤解が。実際はわかってもいないのに、わかったと思ってしまう誤解が。
    • 歴史に接すると、人間には3つの症状が出てくる。
    • わかったという幻想。世界は無茶苦茶複雑やのに、何が起こっているかわかった気でいる。
    • 振り返った時の歪み(追認)。私たちは後づけで物事をものごとする。
    • 実際に起こったことに対する過大評価。
    • 日記は事件が起こっている時に書く、出来事を描くための方法。この日記があれば、当てにならない記憶に対して、起こったことを後になって当時の文脈で考えることができる。
    • 分類をすれば複雑さは必ず低下する。世界は本来は複雑で不確実であるはずなのに、分類は複雑さ・不確実さを無視してしまう。こういうところに、黒い白鳥が生まれる。
    • 第2章 イェフゲニアの黒い白鳥
    • 第3章 投棄家と売春婦
    • 成功すると才能があることになる。私たちが能力だと思っているもののほとんどは、結果から後づけで決められる。
    • 上限や下限が何かしら規定されているもの、たとえば人の体重とか身長とかは、生物学的な規定により、一つの特定の事象が全体に大きな影響を及ぼす、ということはない。月並みの国はこういう国。
    • 上限の規定がないもの、これを果ての国といい、一般的に社会的な問題は果ての国でのこととなり、事象の中に、全体に大きく影響を及ぼす、全体に占める割合が異様に高いものが存在することがある。果ての国では格差が、驚くほどに大きい。
    • 月並みの国では、特定の一つが全体に大きな影響を及ぼすことはないので、黒い白鳥はいない数々のデータとそれが指し示す事柄を、ある程度は信用していい。一方で果ての国では、あるデータ一つが全体に多大な影響を及ぼす可能性がある。が故に、データからわかったことは常に疑ってかからないといけない。
    • 第4章 千と一日、あるいはだまされないために
    • 果ての国では、有限のわかっていることは役には立たない。故に、帰納的な推論は役に立ちにくいばかりか、悪影響さえある。それが、後知恵の問題。
    • ▼p91.過去は典型的な未来を表現した一番信頼できる予測だなんて安直に思うからこそ、わたしたちは黒い白鳥がわからない。
    • 第5章 追認、ああ追認
    • 人は、行きと帰りの誤りを犯す。「黒い白鳥がいる可能性があると示す証拠はない」ことと「黒い白鳥がいる可能性はないと示す証拠がある」のとを混同してしまう。両者は、まったく違う。私たちは、細かい論理の誤りに弱く、かつ問題を単純化しがち。
    • 素朴な経験主義が頭の中で働き、自分の話を裏付けてくれる例を勝手に探し始める。そしてそれは、すぐに見つかる。自分の説にあった過去の例を探し、それを証拠としてまで扱ってしまう。
    • つまり、裏付けになる事実をいくら集めても証拠になるとは限らない、ということ。黒い白鳥がいる可能性があると示す証拠はないが、黒い白鳥がいる可能性はないと示す証拠もないということ。どれだけ多くの白い白鳥を見ても、黒い白鳥がいる可能性は否定され得ない。一方で、黒い白鳥が一羽でもいれば、たちどころに全ての白鳥は白い、という命題は誤りであることが示される。よって、裏付けを積み重ねても仕方ない。反例を見つけなければ。
    • 裏付けばかり探してしまいがちな傾向を、追認バイアスと呼ぶ。間違っているということの方がずっと命題を明らかにしてくれるのにも関わらず、いくら積み重ねても命題の証明には至らない裏付けを探しがちな性質のこと。
    • 人間は、都合よく考える生き物。経験や実証的観察を重視するが、それで一般化をおこなっているわけでは必ずしもない。経験の中から恣意的に選んで、一般化する。
    • 第6章 講釈の誤り
    • ▼p127.講釈の誤りは、連なった事実を見ると、何かの説明を織り込まずにはいられない私たちの習性に呼び名をつけたものだ。一連の事実に論理的なつながり、あるいは因果関係を示す矢印を無理やり当てはめることと言ってもいい。説明をすれば事実同士を結びつけることができる。そうすれば事実がずっと簡単に覚えられるし、わかりやすくなる。私たちが道を踏み誤るのは、この性質のせいでわかった気になる時だ。
    • 世界は複雑で、ランダムで、混乱している。そこに秩序をもたらすのが、プラトン性であり、単純化することである。当然それは、実際の世界からの乖離を生む。実際には黒い白鳥の存在する世界を、単純化により極端をなくし、黒い白鳥を見えなくする。
    • 自分の記憶は固まっている、というのは大きな間違いで、事後に得られた情報に照らし合わせて理にかなっていると今の自分が感じれば、記憶も鮮明になる。これはつまり、記憶を捏造することもあるということ。今の自分が基準であるために、記憶がどうであるかは置いていかれる。
    • ▼p139.私たちは手を変え品を変え、過去の出来事を自分に都合よく解釈する。
    • 私たちは、筋立てのある話を聞きたい。それ自体はいいものの、その筋立てのせいで現実が歪められていないかを検証する必要はある。それが、講釈の誤りでないかどうかを。
    • 繰り返しから学ぶ一方で、それまでに起こっていないことにはなおざりにする。けども、一度起こると、しばらくはそれを過大評価する。黒い白鳥の存在を知っていると、それについても考えが至る。なので、歳上に敬意を払う社会は多いのかもしれない。黒い白鳥が起こったことを知っていることが多い、経験の長い歳上に。
    • 第7章 希望の控えのまで暮らす
    • 世界は非線形で、線形的ではない。だから勉強したらそれに比例して身についていく、訳ではなく、ずーっと考え続けて結局何もわからないこともなきにしもあらず。でも、考え続けてある日突然視界が開けることもある。
    • 線形な方が稀で、ほとんどが非線形。線形“ではない“という形でしか記述できないのが世界。
    • 幸福はいい気分の大きさ・強さよりも、いい気分になった回数の方に強い影響を受ける。ただ、私たちは結果が安定的に得られる環境には生きていない。黒い白鳥が大きく影響する世界に生きている。いい気分になった回数を、安定的に重ねることができるとは限らない。
    • 成功のための特徴が優れた資質であると言えるのは、能力が欠けている人たちにはそういう特徴も欠けており、かつその場合に限られる。これは、逆もまた真であると勘違いしていること。「特徴を満たさないならば成功しない」と「特徴を満たせば成功する」を同一視してしまっている。と考えると、成功している人がいるとしても、その才能は思ったほどには特別ではないかもしれない。
    • 第8章 ジャコモ・カサノヴァの尽きない運
    • 物言わぬ証拠の問題。成功していないものの話は、残らない。誰も話さない。生き延びたものの話は残るが、死に絶えた側の言い分は何も残らない。その点で、証拠には必ずバイアスがかかる。生存者バイアスが。
    • バイアスは、現象を一貫して正か負かのどちらかに偏らせてみせる、システマティックな誤差のこと。一貫して、悪い方なら悪い方に、いい方ならいい方に偏らせる。
    • 物言わぬ証拠は、過去にとってきたリスクを低く感じさせる。自分が生き残った側であると、その印象は強く証拠として残り、生き残っていないものの声は存在しないので、過去に対してのリスクは当然低く感じることになる。
    • ▼p219.私たちは説明を欲しがる動物で、ものごとには全て特定可能な原因があると思い、一番わかりやすい話を唯一の正解だと思って、それに飛びつく。でも、目に見えるなぜならなんて、ないかもしれない。むしろまったく逆で、説明なんてなんにも、ありうる説明の範囲なんてものさえなかったりする。
    • でも、物言わぬ証拠がこの事実を隠してしまう、私たちが生き残った事実が影響しているとき、なぜならという概念そのものがひどく弱められる。生き延びたという条件がありうる説明を全部押し流してしまう。
    • ▼p220.教育制度で一番我慢ならないのは、生徒にものごとの説明を絞り出させ、判断を控えたり「わかりません」と口にしたりするのは恥ずかしいと思い込ませるところだ。
    • ランダム性を受け入れるとは、自分の無知を認めること。
    • 第9章 お遊びの誤り、またの名をオタクの不確実性
    • 人間は、起こったことがまた起こることを心配し、起こるかもしれないことが起こらなかったことは心配しない。気を払わない。意識に留めない。で、プラトン化する。それらを不必要に分類する。分類したがる。そのため、知っている図式や整理された知識を好む。自然と、現実をそのまま捉えるのには不自由になる。で、追認の誤りを犯す。
    • 第2部 私たちには先が見えない
    • 第10章 予測のスキャンダル
    • 将来の予測とかには、確実に歪みを生じる。知識に関するうぬぼれによって。それは、不確実な状態が取りうる範囲を押し縮めて、自分が知っていることを課題に見積もり、不確実性は過小に見積もる。
    • 人が本当に知っていることと、彼らが自分で知っていると思っていることには、差がある。
    • 私たちは、一旦仮説を立てると、そこからなかなか離れることができない。情報が多ければ、立てる仮説も多くなり、間違った方向に行きやすい。追認バイアスと、自分が持った意見への固執によって。細かく情報を得ることは、方向を間違う可能性が高くなりかねない。
    • 上記の2つを合わせると、ある分野において情報を一番得るのはその道の専門家ということになり、仮に情報が多いと方向を誤るかもしれないとすると、専門家が本当に知っていることと、彼らが自分で知っていると思っていることの乖離は、通常のそれよりも大きくなる、と予想される。
    • 人間は、上手くいけば自分の能力のおかげと思い、失敗すれば滅多に起こらないはずのまぐれが起こったからだと思う。そんな非対称性に振り回される。
    • 滅多に起こらないはずのまぐれを考慮に入れなければいけないか否かで、予測は大きく変化する。その点では、平均がわかってもさほど意味がない。平均に加えて、「誤差は平均から±2」と分かれば黒い白鳥が存在しないので、予測しやすい。が、そうでなければ、黒い白鳥も頭になければいけない。そしてこの場合、その黒い白鳥のせいで、平均値が影響を受けて、実際よりも楽観的か悲観的になっていることが考えられる。というわけで、予測は大きく外れることもよくある。

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書籍名:ブラック・スワン[上]
著者名:ナシーム・ニコラス・タレブ
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Amazonリンク:https://amzn.to/3BmTz1o
出版社:ダイヤモンド社
発行:2009
感想:ようやく読み始めた。本書の存在は何年も前から知ってたけど、手に入れるまではかなりの年月がかかり、さらに読み始めるのにも何年かかかった。
おもしろい。
ファスト&スローとかぶる部分があり、そこに関しては本書の方がおもしろおかしく書かれている分、少々言い過ぎな面やこじつけがちな部分があるかもしれないが、興味深い。
ブラック・スワンの存在は、頭にあるのとないので大きく違うし、基本的に不確実な将来を予測はできない、できたとしても追認であったり、うまくいったことだけ自分の手柄と思いがちであると知っておいた方が、世界をそのままに認識しやすい。
バイアスを少なくみることが出来ると思う。
ブラック・スワンの存在というところから、ここまで話を広げつつ展開出来るのがすごいし、それだけブラック・スワンの存在は大きいということやろう。